インターネット集団墓地

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Webvan - 準備に3年かけて上場から2年で倒産した、14年前の食料品デリバリーサービス

http://d152j5tfobgaot.cloudfront.net/wp-content/uploads/2014/09/71.-Webvan.jpg
(画像1) - WSJ <http://yourstory.com/2014/09/webvan-e-tailer/>

USではInstacart全盛の今からわずか14年前の2001年、驚異的な速度でNASDAQに上場し、一時は60億ドルの時価総額(1)をつけていたWebvan, Incが倒産した。

Webvanは1996年に、書籍・CD販売のチェーン店"Borders Books"で成功を収めていたLouis H. Borders(現在はVC代表)によって設立された「オンライン・グローサリー・サービス」である。

1996年という、Amazonすら生まれたばかりのころから彼らは「食料品スーパーの代替」を狙っており、すでに別分野で成功したベテランの起業家が代表であることもあり、配送エリアごとの食料品倉庫や専用の冷蔵配送対応トラック(画像1)まで自前で用意する富豪的なスタートアップだった。

上記のような設備の準備に2年半ほどかけ、1999年6月にサービスを開始する。当初はサンフランシスコ・ベイエリアのみで展開。1回あたり宅配手数料は4.95ドル。50ドル以上の注文からは無料であった。

この時点では、ユーザーからの反応は良好であったようだ。すぐにUS内の別エリアにも事業を拡大する。(最盛期には、シカゴ・ダラス・アトランタ等合計10都市でサービスを展開していた(4))

1999年11月、順風満帆に見えたWebvanはサービス開始から6ヶ月目で大幅な営業赤字のままNASDAQIPOする事に成功する。

しかし、上場から5ヶ月目の2000年3月から4月にかけUSの"ドットコム・バブル"は崩壊し、代表銘柄扱いだったWebvanの時価総額も大きな打撃を受ける。NASDAQ IPO時のSEC向け報告資料の段階から追加の資金調達が事業継続の前提であったWebvanは、この頃から雲行きが怪しくなってきた。

とはいえWebvanは拡大路線を止めず、2001年11月に最大の競合であったHomeGrocer.comを$1.2 billion(12億ドル)で買収、USにおける圧倒的なナンバーワン・オンライン・グローサリーとなる。

利用は拡大していたものの、市場から追加の資金調達ができなくなり、営業利益もないWebvanはここから一気に崩壊へと突き進んでいく。

2001年4月、Webvanの監査法人であったデロイト・トーマツより、継続企業の前提(going concern)に対する異議が発表される(6)。同時に、2年前にアンダーセンコンサルティング・CEOの職を辞してWebvanに来たCEO Shaheenが辞任する。

そして2001年7月―Webvanは経営再建の意向なく事業を精算することを発表する。
最後に、この会社が利用者には愛されていたことを示すエピソードがある。

大多数の消費者にオンライン・ショッピングをさせるまでには至らなかったWebvan社ですが、それでも、熱烈なファンは、ひとりやふたりではありません。そして、いつかはきっと戻ってきてね、というラブコールもたくさん聞かれます。
  でも、一番のファンは、解雇された二千人の従業員ひとりひとりに、900ドルのプレゼントをした奇特な人かもしれません。今回の倒産では、従業員は全員、 退職金もなく突然解雇されてしまいましたが、誰かが名乗りもせず、合計2億円をポンと寄付したそうです(誰が寄付したのか、未だに謎だそうですが、少なく とも、ボーダーズ氏、会社の重役達、取締役会のメンバー、投資会社など、会社の身近にいた人ではないようです)。

引用元 <(4)>

年表

http://ww1.hdnux.com/photos/10/44/14/2245380/5/920x920.jpg

 (画像2) - SFGATE <http://yourstory.com/2014/09/webvan-e-tailer/>

  • 1996年12月 - 設立。設立から2年半は準備期間となる
  • 1996年6月 - サービス開始。
  • 1996年9月 - 当時のアンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)のCEOだったGeorge ShaheenがWebvanのCEOになる。
  • 1999年11月 - 上場。市場は米NASDAQ。従業員数630人。ティッカーシンボルWBVN。公募価格15ドル。参考
  • 1999年12月 - 3日、株価は最高値を付ける。25.44ドル。
  • 2000年3月 - "ドットコム・バブル"が崩壊する。当時の代表銘柄たるWebvanも巻き込まれる。
  • 2010年11月 - 最大の競合であったHomeGrocer.comを$1.2 billion(12億ドル)で買収する。
  • 2001年4月 - 監査法人より継続企業の前提に異議が発表される。同時にCEOのShaheenが辞任。
  • 2001年7月 - 倒産。あまりにも専用化されており大きすぎる設備はその売却に時間がかかったが、最終的にはAmazon.comが引き取り、のちの同種サービス Amazon Freshに繋がる。

業績推移

ウェブバンの業績推移
四半期営業収入
(万ドル)
▲営業損失
(万ドル)
顧客数
(万人)
展開地域
(期末時点)
1999 Q3 (7-9月) 384 ▲ 6,044 2.1 1カ所
1999 Q4 (10-12月) 1,983 ▲ 8,973 4.7 1カ所
2000 Q1 (1-3月) 1,627 ▲ 5,782 8.7 1カ所
2000 Q2 (4-6月) 2,830 ▲ 7,232 16.0 2カ所
2000 Q3 (7-9月) 5,206 ▲14,797 54.2 7カ所
2000 Q4 (10-12月) 8,419 ▲17,314 64.0 10カ所
2001 Q1 (1-3月) 7,723 ▲21,697 76.2 9カ所

引用元 <消える米国オンライン・グローサー : 富士通総研>

失敗の考察と感想

  • 赤字上場であり、上場時のSEC向け報告資料の段階から、2001年もしくは2002年以降も営業を続けていく為には追加資金の調達が必要という前提となっていた。一度も黒字になったことのない事業者に対しても巨額の投資がなされていた、ドットコム・バブルの継続を前提としたビジネスモデルだった。
  • 早い段階から大きな固定費を発生させる倉庫の建設やトラックの調達、運転手の直接雇用などを進めてしまった上、それがコア・コンピタンスとなっていた為、想定よりも利用の伸びが遅いと気づいたときに軌道修正できなかった。
  • 配送効率が低く、1時間に3軒程度しか配達できなかったようだ(4)。USのように広大な土地柄では別の配送モデルを考えるべきだったのかもしれない。あるいは、餅は餅屋でプロの配送業者をはじめから巻き込むべきだったか。
  • 大量仕入れによりディスカウントを行う既存のスーパーに対し、彼らと比べれば規模も小さく歴史も浅いWebvanは仕入れ先から有利な卸価格を引き出せなかった。しかし消費者向けの価格ではスーパーに対抗せざるを得ず、利益幅を圧迫した(5)
  • 利用ユーザから熱い支持を受けていた(3)にもかかわらず資金繰りの為に失敗するというサービスの例は少なく、その点において貴重なサンプルである。

参考文献

(1) Webvan And Other IPO Epic Failures

(2) Webvan - the grocery e-tailer that failed after raising $800 million

(3) Webvanのチャレンジと失敗

(4) Webvanの撤退:食料品雑貨はインターネットでは流行らない? | Silicon Valley NOW (シリコンバレー・ナウ) | 夏来 潤のエッセイサイト

(5) Peapod:もうひとつのオンライン・スーパーマーケット | Silicon Valley NOW (シリコンバレー・ナウ) | 夏来 潤のエッセイサイト

(6) Webvan CEO Shaheen Resigns | News | E-Commerce Times

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